無職の元介護福祉士が投資にて暮らしていく日常

投資で得た配当金のうち実家に月3万円を渡すケースのセミリタイヤ生活です(「繊細さん」な性格です)

セミリタイヤ生活ペーペーの私が、この生活に至れた心構えにつきまして

私がセミリタイヤ生活に入るまで、

約20年かかりました。

 

1社目の正社員時代はひたすら貯金をしておりました。

 

2社目の介護職パートではある程度セミリタイヤ生活できる

貯蓄はできておりましたが、着地点をゆっくり

探していた感じでしたね。

 

私は新入社員直後から会社を辞めたい

強く思っておりました。

理由は私は会社員には向いていない

強く感じたからです。

そこで、お金を貯めようと強く決心しました。

 

また、投資も少しづつしていき、配当金を得て

それで生活しようと思っておりました。

20年前はセミリタイヤなんて

言葉もありませんでしたし、

周囲からは変わっているなと思われましたね。

 

車、家、結婚、子供」的なことが

当たり前であるとされていた時代であり、

私には生きにくいフィールドでしたね。

 

睡眠は一日3時間程度で、土日もほぼなく、

宴会も毎日強要されるような絵にかいたような

ブラック会社でしたね。

 

ただ、残業代や出張旅費がまともに出してくれる

会社ではあったので、体にムチ打てば稼ぐとことは

できました。

 

仕事はできないタイプであると自分で

自覚しておりましたが、

宴会にはまじめに出ていたのもあり、

出世は比較的順調にできており、

その分も給与が早く上がって

おりましたね。

 

ただし、上に行けば行くほど、

様々なストレスに襲われましたね。

 

周囲は東大や京大の社員も多数おり、

部下や派遣社員に対してはゴミのよう

扱うのが正しい的な風潮も強要され、

私の性格では人に嫌な対応をしてまで

お金を稼ぎたくないと思ったので

限界を感じましたね。

 

ある程度稼げたのもあり、

体調や精神が限界でも

あったことから丁度よい引き際でした。

 

その後、セミリタイヤ生活に入らずに

2社目の介護職に挑戦した理由は以下の点です。

 

①人に感謝される仕事をしてみたかった

親の介護が目前となってきた

③専門学校に通うと、

  失業保険を頂けるありがたい制度があった

 

実際、専門学校は20年ぶりの学校であり、

なかなか楽しかったです。

 

その後、勤めた介護職パートでは、

専門学校の担当教員が仰っていた通り、

女性の職場であり、

人間関係はブラックでした。

気に入られない職員はひどい惨状でしたね。

 

ただ、利用者さんからは感謝されることから

やりがいはある仕事でした。

 

目標を介護福祉士国家資格取得までと定め、

受験資格が得られる3年間の経験を

コツコツと積み重ねていきました。

 

ようやく3年たったので

すぐに受験に申し込みましたね。

 

昨日(4/22)に格通が届き、

その目標も完全に達成しました。

 

最後に、まとめると以下が私が感じた

セミリタイヤの心構えです。

 

①若く体が資本の時は、がむしゃらに働いて一円でも多く稼ぐ

②宴会は嫌だったが、人間関係が仕事では最重要

③節約できることは節約し、無駄な出費は極力抑える

④若いときから少しづつ投資の勉強をする

 

若い方が一人でも多くセミリタイヤできる事と、

セミリタイヤの文化が当たり前になることを

節に願う今日この頃です。

f:id:persona20190919:20210327205910j:plain

一人でも多くがセミリタイヤ生活できる世の中になりますように

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へにほんブログ村 投資ブログ 投資でセミリタイア生活へ

にほんブログ村 介護ブログ 介護福祉士へ

PVアクセスランキング にほんブログ村←応援クリック宜しくお願い致します

プライバシーポリシー お問い合わせ